第九話
EDの僕がハプニングバーに行ったら人生変わった
第9話 彼女の名は莉菜――「端っこくん」に出されたミッション
僕は相変わらず、カウンターの端に座っていた。
モテる男の話し方を観察し、女性への近づき方を学ぼうとしたものの、成果はなかなか出ない。
むしろ通うほど、わからなくなっていった。
そんなある日、一人の女性が目に留まった。
彼女が店に入ってくると、空気が少し変わる。
男性にも女性にも気軽に声をかけ、手にしたグラスをくるくる回しながら、楽しそうに笑っている。
気づけば、彼女の周りに人が集まってくる。
端正な顔立ちなのに、どこか愛嬌がある。少し垂れた目が、子どものように輝いていた。
彼女の名前は、莉菜さん。

僕とは正反対の人だった。
僕が店の隅で気配を消していると、彼女は店の真ん中で空気を動かす。
その莉菜さんが、突然、僕の隣に座った。
「ねえ君、いつもこの端っこの席にいるよね。端っこが好きなの?」
「端にいると、落ち着くんです」
「へえ。じゃあ君は、端っこくんだ」
「えっ?」
僕には柾木という名前がある。
しかし、訂正する間もなく、風のように莉菜さんは別のテーブルへ行ってしまった。
その日から、僕は彼女の中で「端っこくん」になった。
ご褒美つきのミッション
それから莉菜さんは、時々ふらりと僕の隣へ来るようになった。
「端っこくん、飲んでる?」
「僕、端っこじゃないです。柾木です」
「柾木くんね。ところで端っこくん、五階へ行ったことある?」
名前を教えた意味が、まるでない。
「昔、二回だけ」
「じゃあ、しばらく行ってないんだ」
莉菜さんが意味深な笑みを浮かべた。

「私と五階へ行かない?」
「えっ、いいんですか?」
思わず声が裏返った。
「いいよ。ただし――私のミッションをクリアできたらね」
彼女は立ち上がり、少し離れた四人掛けのテーブルを指さした。
そこには、ピンク色のシャツを着た女性が一人で座っていた。

ストローでグラスの氷を回し、時々スマートフォンを開いては、また閉じている。
「彼女を誘って、五階へ行けたら。そのときは、端っこくんと行ってあげる」
突然、僕の前にニンジンがぶら下げられた。
「挑戦しないの? ご褒美、いらないのかなあ」

莉菜さんが楽しそうに僕の顔をのぞき込む。
――やるしかない。
僕はグラスを持って席を立った。
一回目の挑戦
ピンクのシャツの女性の前まで来たものの、気の利いた口説き文句など浮かばない。
結局、僕の口から出たのは、なんとも色気のない言葉だった。
「カウンターにずっと座っていたら、お尻が痛くなっちゃって。ここ、座ってもいいですか?」

「どうぞ。みんなカウンターへ行っちゃって、話し相手ができてうれしいです」
彼女は親しみやすく、会話が得意ではない僕にも自然に話を合わせてくれた。
十五分ほど話したころ、五階の話題になった。
「僕、二年前に行ったきりなんです」
すると彼女は、あっさり言った。
「今はリニューアルされていますよ。行ってみます?」
僕は心の中で、ガッツポーズをした。
莉菜さんのほうを見る。
――いない。
さっきまで彼女がいた席には、知らない男性が座っていた。

五階へ上がると、以前とは雰囲気が変わっていた。マットのほかに、見慣れない椅子やロープまである。
僕が想像していた「リニューアル」とは、方向性がだいぶ違った。
女性はマットにうつ伏せになると、腰を揉んでほしいと言った。
それなら、メンズエステで経験している。
僕は、水を得た魚のように活き活きと腰を揉み始めた。

やがて彼女の身体から力が抜け、施術は自然な流れで性感マッサージへと移っていった。
挿入はできなくても、僕にはできることがある。
その手応えを感じ、意気揚々とBARラウンジへ戻った。
「あれ? 莉菜さんは?」
「明日早いからって、帰ったよ」
マスターが平然と答えた。
……えっ?

見ていないから、ノーカウント
一週間後。
カウンターの端に座る僕の隣に、莉菜さんが現れた。
「ミッションをクリアしたのに、帰っちゃうなんてひどくないですか?」
「ああ、ごめんごめん。眠くなっちゃって」
「ご褒美は?」
「私、見てないもん。だからノーカウント」
やはり、この人は最初から僕と五階へ行く気がないのではないか。
疑いの目を向けると、莉菜さんは笑いながら首を振った。
「そんなことないよ。行く気満々!」

「ほんとかなぁ…」
「じゃあ、端っこくんに、新しいミッションを出します」
彼女が指したのは、カウンターの反対側にいる赤い眼鏡の女性だった。
スマートフォンを操作しながら、少し困った顔をしている。

「今度こそ、絶対に帰らないでくださいね」
念を押してから、僕は彼女の近くへ移動した。
「それ、iPhoneですか? 僕も最近、買い替えたんです」
話を聞くと、機種変更したばかりで設定に困っているという。
僕が設定の方法を教えると、彼女の表情が明るくなった。
「ありがとうございます。助かりました」
そこから会話が弾み、お礼に僕のマッサージを受けてくれることになった。
二度目のミッションも、無事成功。
今度こそ、莉菜さんも見ている。
そう確信して四階へ戻ると、店内は異様な盛り上がりを見せていた。
二人の男性が棒の両端を持ち、その下をセーラー服姿の莉菜さんがくぐっている。

「何をしているんですか?」
「見てわからない? リンボーダンスだよ」
「それはわかります。でも、どうしてセーラー服なんですか?」
「全裸じゃ、まずいでしょ」
莉菜さんは額に汗を浮かべながら、真顔で答えた。
とても「ご褒美の件ですが」と割り込める空気ではなかった。
ようやく踊り終えた莉菜さんを捕まえた。
「莉菜さん、五階に……」
「ごめん。疲れちゃったから、シャワー浴びて帰るね」
自由な女性だと思っていた
莉菜さんが帰ると、ほかのお客さんたちも潮が引くように帰っていった。
さっきまでの騒ぎが嘘のように、店内が静まり返る。
僕はマスターに尋ねた。
「莉菜さんって、いったいどんな人なんですか? 僕、いつも振り回されてばかりなんですけど」
マスターは、グラスを拭きながら笑った。

「彼女はいい子だよ。周りへの気配りがすごいし、人のことをよく見ている」
「さっきのリンボーダンスもですか?」
「君が五階へ行っている間に、店内でカップルが喧嘩したんだ。二人が帰ったあとも、嫌な空気が残っていてね。そのとき莉菜ちゃんが、『リンボーダンスをやろう』と言い出したんだよ」
僕は、ただ単に騒ぎたかっただけだと思っていた。
「それから、莉菜ちゃんが君に声をかけさせた女性。二人とも、誘いを拒まない人だよ」
「えっ?」
「君が誘いやすい相手を選んでくれたんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
明るくて、自由奔放で、人を振り回してばかりいる女性。
僕は莉菜さんを、そんな人だと思っていた。
でも、本当は違った。
彼女は店の空気を読み、周りのことを考えている人だった。
――ありがとう、莉菜さん。

ただ、このときの僕はまだ知らなかった。
莉菜さんのミッションがエスカレートしていくことを…
次に彼女が指さしたのは、男性に点数をつけることで恐れられている女性。
通称――「辛口のマコ」。
――第10話につづく。
