第八話
ハプニングバーは、欲望と孤独の交差点だった
『EDの僕がハプニングバーに行ったら人生変わった』第8話
女性を五階へ誘う方法を学ぶため、僕はBARに集まる男性たちを観察していた。
観察を続けるうちに、僕は気づいた。
この店に集まる男性は、「モテる男」と「モテない男」だけでは分けられない。
それぞれが、人には言えない欲望や悩みを抱えて、この場所へやって来ていた。
お金を払えば、女性とできる?
このBARへ初めて来る男性は、入会金と利用料を合わせると三万円前後かかった。
決して安い金額ではない。
そのため、勘違いする男性もいた。
「お店が用意した、さくらなんでしょ?」

「三万円も払っているんだから、やらせてよ」
風俗店と勘違いしている男性客もいる。
少なくとも僕が行ったことのあるハプニングバーにはさくらは居なかった。
そのため、女性客が0人男性客が10人というシュールな状況になることもあった。

そんな男性が現れると、マスターが静かに呼び出した。
そしてバックヤードで、かなり厳しく注意する。
改善しなければ、出入り禁止になることもあった。

自由な場所だからこそ、相手の意思を尊重する。
そのルールを守れない人には、自由を楽しむ資格がない。
この店は、何でも許される場所ではなかった。
見るだけの男
僕はいつも、カウンターの左端に座っていた。
反対側の右端には、よく見かける小太りの男性がいた。
彼は、いつも一人で静かに飲んでいる。
彼は、女性に話しかけることもなく、ほとんど席を立たない。
何をするために、この店へ来ているのだろう。
ある日、気になって聞いてみた。
「五階には行かないんですか?」
すると彼は、当然のことのように答えた。
「だって、摘発されたとき、裸だったら逮捕されそうじゃないですか」
ずいぶん現実的な理由だった。
「だから僕は、見るだけで十分なんです」
「一度も行ったことはないんですか?」
「人数が多いときは行きますよ。でも、服は脱ぎません。ただ見ています」
少人数だと、見ているだけでは済まなくなりそうだから行かないという。

彼なりに、きちんと安全基準を設けていた。
「その光景を頭に焼き付けて、家に帰って妻とするときに思い出すんです」
なるほど、そんな利用方法もあるのか。
七日間、帰らなかった男
僕には、忘れられない男性がいた。
五十代で、妻子がいる人だった。
会社で何かトラブルを起こし、一週間ほど家に帰っていないという。
会社にも行っていなかった。
「全部が嫌になって、ふらふら歩いていたら、たまたまこの店を見つけたんです」
彼は、そう話した。
その表情には、楽しみに来た人とは違う影があった。
それから彼は、お昼の12時の開店から翌朝4時の閉店まで、毎日この店で過ごした。
酒を飲み、知らない人と話し、ときには陽気に踊っていた。

周囲から見れば、思いきり楽しんでいる男性に見えたかもしれない。
けれど僕には、陽気にしている彼の気持ちを考えると、胸が痛かった。
そして、七日ほどたったころ、彼は突然、店へ来なくなった。
最後に見た人から、
「東尋坊へ行くと言っていた」と聞いた。
観光だったのか。それとも、別の意味があったのか。
僕にはわからない。
その後、彼がどうなったのかも知らない。
ただ、ときどき思い出す。
あの七日間、このBARは彼にとって天国だったのかもしれない。
初めて勃たなかった青年
ある日の午後四時ごろ、BARへ行くと、二十代前半くらいの青年が一人で飲んでいた。
肩を落とし、グラスを見つめている。
開店から待っていたのに、女性客が来なかったのだろうか。
そう思って声をかけた。
「今日は、女性が来なかったの?」
青年は、小さく首を振った。
「いえ。さっきまで、すごくきれいなお姉さんがいました」
なるほど。
誘えなかったのか。
僕は勝手に納得して、さらに聞いた。
「五階までは行けなかったんだね」
「いえ……」
青年は、少しうつむいた。
「お姉さんのほうから『行きましょう』と言ってくれて、行きました」
「おお、よかったじゃん」
僕がそう言うと、彼はしばらく黙ったあと、小さな声で続けた。
「でも、勃たなかったんです」

その言葉に、僕は何も言えなくなった。
「こんなの、人生で初めてです」
さっきまで他人事だった話が、一瞬で自分の話になった。
僕にも、同じ経験がある。
女性を前にして、勃たなかった。
焦れば焦るほど、身体は反応しなくなった。
男として失格だと言われたような気持ちになった。
あの夜の苦しさを、僕は知っている。
「わかるよ」
気づけば、そう答えていた。
「つらいよね。プレッシャーがかかると、余計に反応しなくなるんだよな」
青年は黙ってうなずいた。
僕たちは、それ以上あまり話さなかった。
ただ並んで、静かにグラスを傾けた。
言葉以上に通じ合うものがあった。
傷の舐め合いと言えば、それまでかもしれない。
でも、誰にも言えない傷を隠さなくていい時間は、少しだけ人を救う。
性の向こう側にいる人間
このBARには、欲望を満たすために来る人がいる。
刺激を求めて来る人もいる。
ただ眺めたい人もいる。
家や会社から逃げて来る人もいる。
そして、誰にも言えない悩みを抱えて来る人もいる。
性欲は、その人の一部分にすぎない。
笑っている人が、幸せとは限らない。
五階へ行けた人が、自信に満ちて帰ってくるとも限らない。
ここは男女が出会う場所でありながら、その人が隠している孤独まで、ふいに見えてしまう場所だった。

欲望と孤独。
自信と劣等感。
笑いと涙。
さまざまなものが、同じカウンターの上で交差していた。
そんな男たちを眺めながら、僕は相変わらずカウンターの端に座っていた。
するとある日、一人の女性が突然、僕の隣に腰を下ろした。
彼女は、何の前触れもなく言った。

「ねえ君、いつもその端っこの席にいるよね」
その女性との出会いが、僕のこのBARの時間を大きく変えることになる。
彼女の名前は、莉菜といった。
第9話へ続く。
